物語研究会での報告

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今日は、午前中、勤務校では高校3年の模擬試験がありました。したがって、担任クラスの試験監督をすることになりました。午後までありますが、さすがに1日中試験監督をするのはたいへんということで、午後は違う先生にバトンタッチ。
午後は、とうとうこの日が来てしまった、物語研究会での報告。昨日の作成上の悩みについては、琴(キン、七絃琴)についても若干触れることにしました。これが、吉と出たような?…凶と出たような?…

物語研究会9月例会
【シンポジウム】テーマ「唐物と楽器〜七絃琴を軸にして、そして実演を聴く〜」
日時:2006年9月16日(土)13:30〜
場所:フェリス女学院大学園都市校舎チャペル(相鉄いずみ野線緑園都市駅徒歩三分)
報告者(演奏者):
岡部明日香氏「古代の日本・中国における琴の受容―理念として、楽器として、文学として―」
皆川雅樹氏「「唐物」とは何か?―日本古代史研究の立場から―」
伏見无家氏(琴演奏+解説)
コーディネーター:原豊二氏

場所はフェリス女学院大学の緑園都市校舎内にあるチャペル。到着するとオルガンの音が響いていました。こんな場所で報告するのは最初で最後のような…。とっても不思議な空間での報告でした。
報告について。岡部報告は、副題にある通り、理念的な琴に関わる逸話とその意義、楽器として平安期の日本で琴を弾く人々の様相、文学における琴の伝授の場面の意義などを系統的に検討していました。皆川報告は、題目にある通り、まず「唐物」の捉え方を近年の研究や具体的な事例から考えた上で、琴と「唐物」について、九世紀の事例を中心に紹介し、今後の検証方法について示しました。伏見さんは、琴演奏者(琴士)であり、実際に琴の音を聞かせてくれました。チャペルという場所でこのシンポジウムが行われたのは、この演奏があったからであり、音響上の問題です。話をする場所としては、少々不自然な空間ですが(笑)。
報告の後は、討論が行われ、琴のことを中心に議論がなされるかと思っていたのですが、なぜか「唐物」の捉え方についての議論の方に集中してしまい、私はかなり困惑しました(そんなつもりで参加準備をしていなかったこと、そして、今回の報告内容があまり整理されていなかったので、わかりにくく質問が集中したのか?と思い反省しております)。なぜ、困惑したかというと、歴史学研究者と文学研究者の「感覚の違い」です。普段から、文学研究者の論文を読んでいても「感覚の違い」は感じるのですが(研究方法や目指すところが違うので当然起こる感覚ですが)、実際に討論をしてみて改めて感じました。
この「溝」を少しでも埋めることがこれから学問として求められるのでしょうが、研究現況を見ると、文学研究が物語などのテキスト論が中心で、歴史学研究が「明確な目標が見えない」個別分散的な実証主義が中心という対照的な方向性に進んでいるので、これからもこの「違い」を埋めることはなお難しいような気がします。しかし、もしこの「溝」が埋まっていくとしてもお互いの研究手法・(理)論の「摘み食い」でもいけないと思います。研究の協力・融合と冠するプロジェクトが盛んな近年、研究のすみ分けの仕方と共同・共通の部分の持ち方などが科学として問われているのかもしれません。
会場にて、『源氏物語』を中心に平安文学の研究をなさっている湯浅幸代さんから研究論文の抜き刷りを頂きました。ありがとうございます(湯浅さんとは初めて会いましたが、このブログを見ているそうで、話していると初めてあったような感じがしませんでした(笑))。
○湯浅幸代「王朝物語と王権―研究史展望・内から外へ―」(『文学研究論集』(明治大学大学院)21、2004年)
○湯浅幸代「嵯峨天皇と「花宴」巻の桐壺帝―仁明朝に見る嵯峨朝復古の萩花宴を媒介として―」(『中古文学』76、2005年)
1本目の論文は、出た当初に読んで、「文学研究者にも「王権」を本来の「王権」として捉えようとする人がいるのか」と思ったことを思い出しました。算賀の研究にも造詣が深いようなので、今後もご研究に注目していこうかと思います。