けん玉のルーツを探る

けん玉のルーツを探ろうと、ネット上で探していると以下のような文章に出会いました。
みろく屋ホームページ(http://www.mirokuya.co.jp/mlmag/archive/vol87.html

唐船が運んで来た、けん玉(2002/5/8)
 ところで、そのけん玉を日本古来の玩具だと思っている方はいませんか?どうやらそれが間違いで、日本のけん玉は1777年(安永6)頃、唐船によって長崎に伝えられたのが最初ではないかといわれています。当時のけん玉は1830年刊の『嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)』という本によると、 糸でつながったボールを引き上げて、おチョコのようなくぼみに乗せたり、けん先で受けたりして遊ぶもので、うまく出来ない者には酒を飲ませた、というようなことが記されているそうです。(〃∀〃)〜●
 今でこそけん玉は子供の玩具というイメージがありますが、当初は大人の酒の席のものだったようですね。けん玉が長崎に伝えられたという年は唐船がたくさん入港したそうで、丸山あたりで唐人さんらがお酒を飲む時、けん玉を持ち込んで遊んだことが、全国に広がるきっかけになったのではという説もあるようです。
 日本へ伝わったけん玉。そのルーツをたどるとヨーロッパの「カップアンドボール」という遊びがベースになっていることが分かりました。「カップアンドボール」はコーヒーカップのような「カップ」と、糸をまいて作ったような「ボール」を糸で結んだもので、そのボールをカップに受け入れて遊ぶものです。ヨーロッパでは17世紀初め頃、大流行したそうです。
 日本で大人の遊び道具から子供たちのそれへと変わったのは明治になってからでした。「カップアンドボール」は、当時の文部省が翻訳したイギリスの子女教養書「童女筌(どうじょせん)」の中でも「盃及ヒ球」と訳され紹介されているそうです。そして大正初期になると、けんのようなの棒に太鼓型のものを横に刺して十字に組み合わせた、いわゆる私たちが現在けん玉と呼んでいる型が登場します。それは「日月ボール(にちげつぼーる)」の名で売り出され、昭和初期まで子供達の人気を集めたそうです。
 現在、スポーツ感覚で楽しまれているけん玉は、技がたくさんあり、奥深い遊技として子供から大人まで愛好家の方も増えているとか。どうやらけん玉は古くて新しい玩具のようです。●〜\(“)選手権大会もあるんだって
※参考にした本/「長崎県文化百選〜事始め編〜」(発行/長崎新聞社

カップアンドボール」が日本に伝わったものということなのですが、その前に出てきた19世紀の『嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)』に出てくるけん玉の方はどうなのか?詳しく調べてみるため、日本けん玉協会のホームページ(http://www.kendamakyokai.com/)にある「けん玉進化論」を見てみました。

<第3章 世界のけん玉の型分布と植民地支配>
(中略)
(2)けん玉の分類
A型[オールマイティの頭文字よりA型と呼称する]
 基本要素は、けん、玉及び皿であり、下記B型及びC型の総合型であり、典型的な日本のけん玉がこの型です。
B型[ビルボケの頭文字よりB型と呼称する]
 基本要素は、けん及び玉のみであり、フランスのビルボケが典型例です。世界のフランス圏に分布するルーツ的な型です。
C型[カップアンドボールの頭文字よりC型と呼称する]
 基本要素は、皿及び玉のみであり、カップアンドボールが典型例です。世界のイギリス圏を中心に広く世界に分布する型です。
D型
 基本要素は、皿及びけんのみであり、玉が要素に無い特殊けん玉です。日本の昔からの手作り竹製けん玉、グアテマラの特殊けん玉等が該当します。
E型[その他を意味するETC.の頭文字よりE型と呼称する]
 上記以外の要素の組合せ又は特殊要素を持つ分類不能型です。日本けん玉協会考案のたまたま(公認けん玉のたまを2つ糸で結んだもの)、メキシコ製の特殊けん玉(玉に突起がついていて、竹の筒で玉の突起を受ける特殊けん王)等が該当します。
(3)植民地支配とけん玉の型
 B型のフランスのビルボケは、中世貴族の大人の遊び道具であり、フランスのことわざに「ビルボケするより難しい。」というのがあり、「そいつはすごい!」という賞賛を意味します。歴史地理的には、フランス植民地が多い南米に多く見られます。
 C型のカップアンドボールは、イギリスの女の子の優雅な遊びとして、明治8年出版の文部省翻訳書「童女筌(どうじょせん)」に紹介されています。大英帝国の植民地であるインド等のけん玉はこの型が多いようです。
 けん玉は、植民地時代に爆発的な世界的普及と進化を遂げたようです。次回は、いよいよ日本のけん玉の誕生を検証します。
<第4章 日本のけん玉の誕生>
 日本けん玉史における「けん王」のルーツは、語源的には平安時代の曲芸「品玉」等であるといわれておりますが、フランス型(B型けん玉)は、安永六、七年(1777年)頃、日本に初登場(文献「嬉遊笑覧」:きゆうしょうらん)しております。しかし、イギりス型(C型けん玉)の最初の文献は、明治八年(1875年)文部省発行の翻訳本「童女筌」(どうじょせん)です。B型の登場からC型の紹介まで約100年の時間が必要であり、日本史上の鎖国政策が日本けん玉史に与えた影響の大きさを示しております。また、発行が文部省であるというのは、日本けん玉協会が文部省体育局生涯スポ一ツ課の所管と開係しているようで不思議な縁(糸)で結ばれていることを暗示させます。
(以下省略)

18世紀末頃の『嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)』に出てくるけん玉はフランス型の「ビルボケ」であり、イギリス型の「カップアンドボール」は19世紀末。約100年のタイムラグがあり、これは日本における近代国家成立前後の文化摂取の歴史的展開を探っていくことが必要になってきます。また、私の関心からすると「語源的には平安時代の曲芸「品玉」」にあるという点も興味深いところです。
とりあえず、①『嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)』、②文部省翻訳書「童女筌(どうじょせん)」、③平安時代の曲芸「品玉」、についてそれぞれ調べてみようと思います。
いつ調べるのだろうか??