新陳代謝?

石橋湛山「死もまた社会奉仕」(『東洋経済新報』「小評論」1922年2月11日号)に興味を持ちました。
以下、その文章を掲げます。

山県有朋公は、去る一日、八十五歳で、なくなられた。先に大隈侯を喪い、今また公を送る。維新の元勲のかくて次第に去り行くは、寂しくも感ぜられる。しかし先日大隈侯逝去の場合にも述べたが如く世の中は新陳代謝だ。急激にはあらず、しかも絶えざる、停滞せざる新陳代謝があって、初めて社会は健全な発達をする。人は適当の時期に去り行くのも、また一の意義ある社会奉仕でなければならぬ(松尾尊禱編『石橋湛山評論集』岩波文庫より)。

維新の閥族・藩閥が死に行くことを世の中の新陳代謝と表現し、適当な時期に死ぬことを社会奉仕とします。
1918年、米騒動の責任を負って寺内正毅内閣が総辞職に追い込まれ、原敬内閣が成立します。初の本格的な政党内閣の誕生です。これまでの藩閥政治からの大きな変化が起き、1922年は、日本農民組合・日本共産党などの結成、平塚らいてうを中心とした新婦人協会による治安警察法第五条改正など、社会運動が非常に盛んになる時期でもあります。そして、治安維持法と男子普通選挙法と…。
人の生死が、時代の新陳代謝とともに展開していくことを歴史が教えてくれます。