「女帝」議論の意味

現実問題と歴史的事実としての「女帝」問題に少し距離を感じているのは私だけでしょうか。ここ数年で、「女帝」に関わる本が数多く発売されており、私の手元にもいくつかあります(何となく買わなくてはならないような気になります…(笑))。
「昔も存在していたから女帝もいいのでは」「皇室典範で男系男子のみだから女帝はよくない」とか根拠があるようでないこと言い、結果的には感情的に天皇制、というよりは皇室全体が好きか嫌いかで善し悪しを決めているような感じがしてなりません。
今のままの議論で行くと、雅子さんも紀子さんも「人間」として扱われず、何だかわからず天皇制(家)を存続していこうといった歴史(学)的にも人類(学)的にも意味のないことになってしまうような…。
歴史学で検討が進んでいる(古代)女帝論が今後どのような意味を持っていくのか?最近購入した仁藤敦史『女帝の世紀 皇位継承と政争 (角川選書)』(角川選書391、2006年3月)を読んで考えてしまいました。
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