国旗の意味

minamasa2005-12-12

前に「日の丸」のことを話題にしましたが、戦後史を教えながら一つ疑問に思っていたことがあります。それは、戦後の沖縄が1972年の日本「復帰」以前に「国旗」のようなその地域を示す旗があったのか?ということです。
よく知られているように、戦後の沖縄は米軍政府によって日本本土とは離して占領が行われ、1950年代以降も依然アメリカ施政権下におかれていました。したがって、この時期の沖縄が「日の丸」を掲げることはないわけです。ただ、昭和天皇GHQマッカーサーにあてたと言われる沖縄の将来に関する日本側の考えが示された「天皇メッセージ(沖縄メッセージ)」には、「琉球列島の軍事占領方法は、主権を日本にのこし、25年から50年あるいはそれ以上の期間をアメリカが租借することが望ましい」とあることからも、沖縄の潜在的な主権は日本にありました。
さて、そうなると戦後の沖縄の目印となるような旗があったのか?沖縄の高等学校の教科書として発行されている『(新訂・増補版)高等学校琉球・沖縄史』(新城俊昭著、2001年)に「琉球政府を示す旗はあったのか」というコラム(248頁)があります。

沖縄は米軍の統治下にあったが、潜在主権は日本にあった。ところが、その身分は不安定で、米国憲法の保障も得られなければ日本国憲法も適用されなかった。(中略)国際法では、公海を航行する船舶は常時、国旗を掲げることになっている。しかし、当時の沖縄の船舶は、星条旗は勿論、日の丸すら掲揚することができなかった。そのため、米国民政府は1950年1月、国際信号旗のD旗の端を三角に切り落とした旗を琉球船舶旗に決定し、55年の布令で国旗に代わるものとして船舶に掲げることを義務付けた。米国は、琉球船舶旗を国際水路広報に搭載して各国に周知徹底をはかったというが、それはほとんど意味をなさなかった。(1962年4月に国籍不明船とみなされた)第一球陽丸の銃撃事件以後も、琉球船舶旗を掲げた沖縄船舶が国籍不明船としてあつかわれる事件が多発したのである。琉球政府は、沖縄船舶に日の丸が掲揚できるよう日米両政府に要請したが、解決には時間がかかった。1967年、米国は日本政府の沖縄援助に関する日米協議委員会で、ようやく沖縄の船舶に日の丸を掲げることを認めた。ただし、白地に赤で「琉球・RYUKYUS」と書いたものを一緒に掲揚しなければならなかった。これを新琉球船舶旗とよんだ。

この教科書によると、1950年代以降の沖縄の船舶は、国際信号旗のD旗の端を三角に切り落とした旗(琉球船舶旗)を使用していたということです。国際信号旗とは、船同士が掲げることによって合図やメッセージを送ることができる旗のことで、A〜Z旗、0〜9旗、代表旗1〜3、回答旗までの旗の組み合わせによって、いろいろなメッセージを送ることができるもののようです。しかし、この変形D旗では世界に通用しなかったとのことです。このことについて、1966年3月23日に行われた第051回国会・外務委員会(第6号)で次のような意見が出ています(http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/051/0082/05103230082006a.html)。

○山野政府委員 お答えいたします。昭和三十七年インドネシアで銃撃された沖縄の船舶が一隻ありまして、これが漁船第一球陽丸でございます。この銃撃によりまして、一名の船員が死亡いたしました。それから三名の船員が負傷をいたしたのであります。負傷者につきましては、現在は、私どもの知る限りではほとんど治癒しておると聞いておるのでありますが、これらの被害を受けた人たちの補償につきましては、当時から米国民政府が中心になられましてインドネシア側と交渉してまいったのでございますが、現在に至るまでまだこの補償の問題は解決しておりません。それから、ことしの二月十九日に第八恵洋丸という船がインドネシア海域で領海を侵したということでインドネシア側に拿捕されまして、現在港において取り調べを受けておるという事情でございます。私どもが正式に聞いております事故といたしましては、この二つの問題があるわけでございます。
○竹本委員 そういうことの起こりました原因になりましたのは、D旗のところに問題があると思うのです。私も実はD旗というのはよくわからないので、ここに現物を取り寄せてもらったのでございますけれども、D旗というのはこれなんです。お見せしてもいいですけれども、これはごらんになって皆さん驚かれると思うのですが、こんなものであります。こういうあやふやなものです。大臣、ごらんになったことがありますか。これが問題のD旗です。先のところはちょっと切ってある。こんなものを沖縄の船が掲げて航行するわけですね。私はそこで外務省に伺いたいのは、このD旗には国際的にはいかなる法的な意義や根拠があると外務省はお考えになっているか。われわれから言えば、いわゆるD旗はちょっと切っただけで、全くナンセンスなものだ。それがために、ある場合には海賊船といわれたり、ある場合にはヤシどろぼうだといわれたりするわけですから、禍根はD旗にある。このD旗は国際的にいかなる権威のあるものとお考えになっておるか、またその法的な根拠はどんなものであるか、お考えを承りたいと思います。
○山野政府委員 御案内のとおり、沖縄におきましては、府令で船舶規則というのがございまして、その船舶規則で沖縄に船籍のある船については、いまお示しになりましたデルタ旗を掲揚しなければならない、こういうことに規定されておるのでございまして、御案内のように、船舶が航行する場合にはいずれかの国の国籍を示す国旗……
○竹本委員 時間がありませんから、ポイントだけ言ってください。国際的にいかなる権威があるかということです。
○山野政府委員 このデルタ旗は、国際的には国籍を示す旗ではないのでございまして、あくまで琉球に籍のあるということを示すためのしるしとしてのデルタの特殊旗、こういうぐあいに私どもは了解いたしておるのであります。
○竹本委員 外務大臣、ただいまお聞きのとおりに、このデルタ旗というのは琉球の船であるというおしるしで、それを意味するだけだ、したがいまして、この船がインドネシアやその他国際場裏に出ていった場合には、そのおしるしはあまり役に立たない、そこに問題があると思うのです。したがいまして、沖縄の船のいろいろな問題、トラブルを解決するためには禍根である。このデルタ旗は国際的に意義を持たない、ただ単に沖縄、琉球の船であるという、沖縄の中では意味は持ちますけれども、国際的には何らの意味は持たない、そういう旗を掲げておるというところに誤解があり、あるいは間違いが出てくるわけでございますが、外務大臣としては、この問題を今後どういうふうに考えていかれるつもりであるか、お考えを承りたいと思うのであります。
○椎名国務大臣 国際的に権威のない表示ということでいろいろな紛争の原因になっておるのでございますので、この問題については、なおよく研究いたしたいと思います。詳細は政府委員から……。

今も昔も、国会の討論は分かりにくいし、「ポイントだけ言ってください」なんて言われているところは変わりませんね(笑)。
それはさておき、当時の琉球政府は、船舶の変形D旗掲揚によるトラブルを避けるために、星条旗ではなく日の丸を選んだ理由は何なのでしょうか?
1950年代以降、「銃剣とブルドーザー」という言葉に象徴されるように、沖縄では朝鮮戦争をはじめヴェトナム戦争を経て、米軍による基地用地のための強制的な土地接収が行われ、それによるトラブルや犯罪が多発しました。このような状況を打開するために、沖縄住民は沖縄を日本に「返還」するように訴える沖縄返還運動(「祖国復帰運動」)を展開することになり、この住民のパワーが1972年の日本「復帰」に結実することになります。
このように沖縄住民は、沖縄の「独立」と「自由」を取り戻すために「日本」及び「日の丸」を選んだということになる?わけです。しかし、米軍基地は今なお残っています…。
「日の丸」が「日本」という国家を意味する表象であるならば、沖縄に“真の平和”をもたらして欲しいものですが…、本当にそのことに「日の丸」は必要なのでしょうか?
これからも歴史認識の追究は続きます。