国旗国歌は何なのか?

国歌演奏の廃止を考慮=FIFA会長
(2005年11月22日(火)22時30分 時事通信
【ロンドン22日時事】国際サッカー連盟FIFA)のブラッター会長が、国際試合の開始前に行っている国歌演奏の廃止を考慮していることが22日、分かった。スイス誌のインタビューに答えた。スイス出身の同会長は、16日にイスタンブールで行われたワールドカップ(W杯)予選の欧州プレーオフ、トルコ−スイス戦でスイス国歌を妨げる会場の雰囲気に衝撃を受けたという。この試合では終了後に選手同士による乱闘騒ぎで負傷者が出る不祥事があったが、第1戦でトルコ国歌演奏中にスイスサポーターからブーイングがあったことも伏線になっていた。同会長はまた、プレーオフのような重要な試合の中立国での開催も示唆した。FIFAの広報担当はブラッター会長の発言はあくまで私見とし、公式に討議される予定は決まっていないとしている。

サッカーで言えば、北朝鮮と日本が試合をしたときも、「君が代」に対してブーイングあったりしたこともありました。
そもそも国歌・国歌は必要なのでしょうか?
日本でも「かなり遅れて」ですが、1999年に国歌・国歌法ができました。何とも言えないきっかけで。

広島県世羅高校の石川敏浩校長が、(1999年)三月一日の卒業式の前日の二月二八日朝、自殺した。文部省の指導によって、卒業式での「日の丸」「君が代」の完全実施を求める県教委が、県立の各高校校長に対して異例の職務命令を出して圧力を加え、それに反対する広島高教組との「合掌立ち」の状態、つまり「板挟み」の結果の死と報じられた。この事件で、政府はそれまでの慎重姿勢を一転、法制化に乗り出す考えを明らかにした。(中略)八月一三日に国旗国歌法が公布、即日施行された。
(田中伸尚『日の丸・君が代の戦後史 (岩波新書)岩波新書、2000年より)

「かなり遅れて」といったのは、世界の過半数の国々では憲法に国旗の条項があって、ほとんどの国で国旗が法制化されているらしいです(吹浦忠正『国旗で読む世界地図 (光文社新書 (102))光文社新書、2003年より)。
国旗「日の丸」に絞って話を進めてみましょう。
前出の吹浦氏の本に、次のような文章がありました。

「日の丸」には、これを掲げる人々によって、かつて近隣諸国に迷惑をかけた時代があった。しかし、戦後もまもなく六〇年、世界の中の日本は往時とはまるで違う国に脱皮し、確実に信頼を得つつある中で、「日の丸」はある種の憧憬の眼で眺められる時代になった。「日の丸」は平和と発展のシンボルになりつつあるし、そうしようではないか。
(吹浦忠正『国旗で読む世界地図 (光文社新書 (102))光文社新書、2003年より)

吹浦氏はこの本の中にも滲み出ていますが、かなり「日の丸好き」のようです。
そもそも「日の丸」とは?『岩波日本史辞典』を引いてみました。

古くから朝廷や武将に用いられ、幕末には船舶の国籍標識として使われた。1870年(明治3)に船・陸軍・海軍国旗が相次いで制定された。(中略)学校教育を通じて、または対外戦争を繰返すたびに人々の意識に植えつけられた。1931年には大日本帝国国旗法案が国会で審議されたが廃案になった。アジア太平洋戦争では戦意高揚の手段とされ、戦場でも侵略のシンボルとして用いられた。50年代以降復活し、文部省は<学習指導要領>の改訂を重ねながら教育現場での使用を推進,同時に<国旗>の呼称を与え、義務化され、1999年国旗・国歌法で法制化された。

吹浦氏の言うとおり、「日の丸」は近代戦争の旗印・シンボルとして利用されました。戦後まもなくの時期、GHQは「日の丸」「君が代」を公にすることを抑えていました。
私としては、吹浦氏の論理でいくと、小泉首相靖国参拝が「戦争を忘れないために」「不戦の誓い」といっていることを肯定していると判断できるのでは?と思います。過去の出来事を乗り越えて?「帳消し」にして?「日の丸」=「平和と発展のシンボル」なら、靖国神社も「平和と発展のシンボル」ということですか?しかし、この問題で近隣諸国からは確実に信頼を失いつつあるわけで…。

外相の靖国発言を非難「遊就館」めぐり中国
(11月22日(火)19時39分 共同通信
【北京22日共同】中国外務省の劉建超副報道局長は22日、麻生太郎外相が先に靖国神社の展示施設「遊就館」について「戦争美化でない」などと述べたことについて「麻生氏は当時の歴史に正しく向き合う勇気がないことを証明した」などと非難した。12月にマレーシアで開かれる東アジア首脳会議で日中首脳会談を行う可能性については「日本側が正しく歴史に向き合うことが必要」との立場を示し、靖国問題で日本側が譲歩しなければ会談実現は困難との見解をあらためて表明した。副局長は「遊就館は日本軍国主義を美化する『靖国史観』の核心的施設だ」とした上で「日本は靖国問題の深刻さと微妙さを認識し、理性的かつ責任ある態度を取るべきだ」と指摘した。

私はむしろ、こちらの意見に親近感を持っています。

 (2002年サッカー日韓―引用者)W杯の「日の丸」「君が代」についてどういう印象を受けるのか、と学生たちにきいたところ、やはりほとんどが「抵抗を感じない」と答えた。しかし、それが「国威の発揚」につながると答えた学生は、まったくいなかった。逆に、「『日の丸』、いいんじゃない?」と考える学生の中に目立ったのは、「あれはニッポンとも関係ない、単にサッカー日本代表チームやサポーターを識別するためのマーク」という意見だ。阪神タイガースの猛虎マークのような感覚なのかもしれない。(中略)
 しかし(中略)問題は、いまのところサッカーの日本チームを応援するためだけに「日の丸」を振る新世代と、「これは戦争だ。日本の誇りを賭けてがんばれ」と「日の丸」を振る旧世代とを線引きする手段はいまのところない、ということだ。そして両者はときとして自然にあるいは人為的に、攪拌(カクハン)されて(かきまわされて―引用者)均質になってしまうことがある。チームのために振っていた「日の丸」がいつのまにか国そのもののために振られている、という事態も起こりかねない。
香山リカぷちナショナリズム症候群―若者たちのニッポン主義 (中公新書ラクレ)中公新書ラクレ、2002年より)

しっかりとした歴史認識を持つということが如何に難しいことか、日々実感しております。

 歴史意識とは自己認識であり、われわれは“どこから来て、今どこにいて、これからどこへ向かうか”を知ろうとする意識である。歴史認識において、過去は単なる過去ではなく、現在に突き刺さった過去として認識され、それは否応なしに現在を規定する政治・経済・外交・文化などと密接に関係せざるをえない。日本に即して言えば、古代以来、政治的権力者は自己の統治の正統性を「人民」に浸透させるために、歴史を利用してきた。『古事記』『日本書紀』から始まって、「神道は祭天の古俗」の久米邦武弾圧事件、南北朝正閑論争、津田左右吉言論弾圧事件、そして家永教科書に対する検定強化は、いずれも「人民」の歴史意識をかえ、政治意識をかえて、支配者に都合のいい政治イデオロギーの再編をはかったものである。教科書問題といえば、歴史教科書がたえず焦点となってきたのは、そのためである。
 のみならず、近代日本は戦争や植民地支配と不可分の関係をもって展開してきた。それゆえに「戦争と植民地支配」の被害者となったアジア諸国(とくに中国・朝鮮)が、歴史認識問題を自己の生存に関わる中心問題として固執するのは、当然なのである。
中村政則戦後史 (岩波新書 新赤版 (955))岩波新書、2005年より)