私の論文への反応―その6

論文「古代「対外関係」史研究の行方―「交通」「ネットワーク」「対話」―」(『歴史評論』667、2005年)の抜き刷りをお送りした方々から、返信がありました。木村茂光さん、ありがとうございます。
木村さんから、以下のようなご指摘がございました。私信ですが、重要なご指摘なのでご紹介したいと思います。

この間の研究の進展がわかりやすく整理されており、とても参考になりました。ただ研究の進展のゆえなのでしょうが、論点が多岐にわたり、今後焦点が分散してしまうのではないかと危惧も感じております。

所謂研究の“個別分散化”の問題とも関連することかと思います。これは、我々歴史学の研究者が何のために歴史学の研究を進めるのかという問題にも繋がると思います。
「何のために歴史を学び研究するのか?」
E.H.カーは、『歴史とは何か』(岩波新書、1962年)で、以下のように述べています。

歴史とは現在と過去との対話である。現在に生きる私たちは、過去を主体的にとらえることなしに未来への展望をたてることができない。

私の論文の「おわりに―歴史対話の可能性」では、東アジア諸地域の研究者間の歴史叙述・歴史認識の対話の必要性について触れました。このような歴史対話の必要性は、今後何に焦点を当てて歴史を研究するのか?今我々が生きている時代は何を歴史学に求めているのか?ということの解明に繋がっていきます。
靖国参拝問題など、歴史認識の問題が国家間の外交問題となるかならないかの瀬戸際にあります。
一国では、政治的にも経済的にも文化的にも「成り立たない」日本の未来のためにも、今歴史学が果たすべきことはまだまだあると思います。