『未来をひらく歴史』国際シンポへ行く

minamasa2006-07-08

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先日紹介した*『未来をひらく歴史』国際シンポジウムへ遅れてですが行きました。
報告は、笠原十九司氏の基調報告と中国の中学の先生の授業実践は聞けませんでしたが、その後の韓国の高校の先生の報告と日本の立命館宇治高校の先生と生徒の報告は聞けました。
<韓国からの報告:朴中鉉先生「沖縄戦の平和の意味」>
…『未来をひらく歴史』と扶桑社の教科書を利用しながら、沖縄戦の実態と今日沖縄が抱えている問題を生徒とともに考えるという授業実践。生徒たちが、課題として「沖縄へ送る手紙」を出し、「昭和天皇」や「ひめゆり部隊の人々」に手紙を書くという作業が印象的でした。
<日本からの報告:森口等先生と生徒たち「『未来をひらく歴史』を副読本として使う」>
…高校二年生に対して、副読本として『未来をひらく歴史』を使用し、読み込ませていくことによって、「暗記」主義を乗り越えた「多角的な視点」での歴史の学習を提唱した授業実践。その授業を受けてきた生徒たちの報告もあり、「正しい歴史をより多くの人知ってもらうため、活動を続けていきたい」「事実を知るということが何よりも大切だと知ることができました」という、知ることによって伝える力や色々な人々との交流が持てることを実体験として教えてくれました。
【私の感想】まず、過去の人に手紙を書くためには、過去のことを知った上でしかできないので、効果的な作業だと感じました。
次に、日本の高校生の「正しい歴史を知ってもらう」「事実を知る」という言葉は、彼女たちが想像している以上に難しい作業であると感じました。極端なことをいうと、歴史研究には「絶対的/正当な事実」はなく、その中から「事実」を掘り起こしていかなければなりません。山田朗氏のコメントにもありましたが、「歴史教育・歴史研究・歴史叙述を三者個別の作業にしてしまってはいけなく、一体のものとして行わなければならない」というのが、「事実」を導く最善の方法の一つだと思います。
『未来をひらく歴史』は、そのような方法の模範の一つですが、問題はそれを読んだ受け手の問題です。ここに書かれていることを、無批判に「正しい」と判断することが果たして良いことなのか?私自身も考えなければならないことだと思います。ただ、今一つ言えることは、『未来をひらく歴史』を読み込むことによって、これを題材に歴史認識とは何かを議論していくこと、そのことが編集している会も望んでいる“歴史対話”につながっていくのだと思います。
加えて、今回私と一緒に行った友人(保育士)の言葉が、私が考えもしなかった“当たり前でなければならないこと”を教えてくれました。

保育園で育っていった0〜5歳くらいの子どもたちが成長した中学生・高校生に対して、国境を越えて、真剣に接してくれている先生たちの姿をみてうれしく思った。こういうのを見て、知って、安心して園児たちを小学校以降に送ることができる。大切な命を預かり、育てていくことは、子どもたちの敏感な感受性と無限の可能性を磨くことになる。それを“見守る”のが先生たち。
※以上の言葉は私の聞き取りによるもので、一言一句、友人の正確な言葉ではありません。

私のような高校の教員が今回のシンポのような授業の実践を聞きに行くと、いろいろな授業の方法や教材の作成の仕方の方に目が行きがちなのですが、友人の言ったことは“歴史対話”という視点から考えても、“教育本来の本質であるべきこと”で、改めて忘れてはならないという自戒の念を強く持ちました。
★第二版を買っても初版はとっておくことをお薦めします。
どこを変えざるをえなかったのか?も“歴史対話”の過程の表れです。

未来をひらく歴史―日本・中国・韓国=共同編集 東アジア3国の近現代史

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