はだしのゲンよりリアル?

今更ですが、こうの史代『夕凪の街 桜の国』(双葉社、2004年)を読みました。

夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)

夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)

広島原爆で被爆した女性の戦後を描いた漫画で、第9回手塚治虫文化賞新生賞、第8回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞を受賞した作品です。
この漫画の存在は知っていて、少し前に購入していたのですが、本を読むのが苦手?なもので、なかなか読む時間と気力がありませんでした。ただ、日本史の授業が、1945年に差し掛かっているのと、原爆や核問題を戦後史で扱うので、一気に読み切ってみました(電車内で20分もあれば充分に読める分量でした)。
現在における被爆者の問題をわかりやすく描いており、私の地元の病院(西東京総合病院)や駅(田無駅)が出てくるなど、ある意味『はだしのゲン』よりリアルな問題として感じることができました。
はだしのゲン』は小学生のときに少し読んだことがあり、あの当時の衝撃といったら…読んだその日は寝るのが恐ろしいくらいでした。こういう体験は私の世代ばかりでなく、どなたも1度はあるのではないでしょうか?
〔コミック版〕はだしのゲン 全10巻

〔コミック版〕はだしのゲン 全10巻

はだしのゲンはピカドンを忘れない (岩波ブックレット NO. 7)

はだしのゲンはピカドンを忘れない (岩波ブックレット NO. 7)

『夕凪の街 桜の国』は『はだしのゲン』とは全く違い、戦後の被爆者および被爆二世の立場を描いたもので、その「経験」が人生の中でどのような影響を持つのかをしみじみと感じさせてくれる作品です。
この『夕凪の街 桜の国』ですが、韓国で翻訳出版されることが決定しています。
朝日新聞』2005年10月14日付(夕刊)によると、

韓国語版には、「原爆投下は戦争を終わらせるためのやむを得ない決定だった」との、日本語版にはない文章が盛り込まれる。戦後60年。加害と被害をめぐって、溝を埋めきれないでいる日韓の原爆観を克服しようとの試みでもある。

韓国にとって、広島・長崎への原爆は日本の植民地化からの「解放」へとつながったもので、それは(近代)戦争の「終焉」を意味したわけです。
結果論的には、たしかにそうなのですが、“なぜアメリカが日本に原爆を投下したのか?”という問いになると、理由はそれだけではないところがあります。
その理由は、米ソ冷戦構造においてアメリカが有利に立つため、アメリカが開発した原爆を見せつけるということ、また、アメリカが敗戦後の日本への影響力を高める一方で、ソ連の日本への影響力・介入を抑えるためといったことが考えられます。したがって、アメリカによる広島・長崎への原爆投下は、アメリカの外交上の戦略であったととらえることができるわけです。
しかし、韓国や東南アジア諸地域にとっては「原爆投下によって戦争が終わった」、つまり日本の侵略(加害)による被害を終わらせたことも事実です。
日本は被爆国でもあり、アジアに対する加害国でもあります。
『夕凪の街 桜の国』は、韓国だけではなくアメリカやフランスでも翻訳出版されるそうです。この本が世界の人々に何を感じさせるのか?そして、日本に住む人々はどのように受け止めるのか?単なる「悲しみ」「哀れみ」「感動」「同情」だけでは済まされないと思います。