趣味でもあり…雅な香り

minamasa2005-10-04

久々にお香を焚きました。最近焚いていませんでしたが、実はこんな趣味があったりします(けん玉だけではありません)。掲載した写真は、数年前から愛用している京都の香老舗松栄堂の【銘香芳輪・堀川】(左)と日本香堂の【かゆらぎ沈香】(右)です。
ちなみに、下に写っているのは最近購入した『パッチギ』のDVDです。『ブラックジャックによろしく』同様、まだ見ていません(笑)。
香の話に戻ると、
【銘香芳輪・堀川】のほうは、大学卒業以降、京都によく行くようになってから勧められて使うようになりました。甘い香りで、休みの日や勉強中などはよく焚いて、落ち着いた新たな空間を創り出してくれます。【かゆらぎ沈香】のほうは、沈香(じんこう)の香りを知りたいがために購入したものです。
ただお香好きになったわけではなく、実はもう一つの理由があります。それは私の研究テーマと関連しています。
私は修士論文で、「唐物」(からもの)という平安時代以降の「海外ブランド品」が東アジア世界においてどのような歴史的意義を持っているのか、そのモノの交流・消費・所持という視点で、平安時代の日本列島を基軸に考えてみました。平安時代以降、「唐物」と呼ばれるモノの中での主要品目は香でした。特に、沈香は宮廷内で行う薫物合(たきものあわせ)という香のニオイ競べで使用する重要な香でした。沈香をもとに、様々な香を練り合わせて各自オリジナルの香のニオイを創り出します。その様子は、『源氏物語』の梅枝巻に詳細に記されています。その当時、香の質や産地によって等級分けがされています。ちなみに、沈香の主要な産地としては、現在のヴェトナムの山岳地帯が良質な香を出すところとしてあげられます。今でも残る有名な沈香としては、正倉院にある所謂「蘭奢待」(らんじゃたい)があげられます。
「唐物」は、今でいうところのシャネルやヴィトンなどの海外ブランド品であり、それを入手しようとする人々の姿は今も昔も変わりません。鎌倉時代末、吉田兼好は『徒然草』(120段)の中で、次のように書いています。

  唐物は、薬の他は、皆無くとも事欠くまじ。
  文どもは此国に多く弘まりぬれば、書きも写してん。
  唐舟のたやすからぬ道に、不用の物どものみ取り積みて、
  所狭く渡し持て来る、いと愚かなり。
  「遠物を宝とせず」とも、
  又、「得がたき宝を尊まず」とも、文に侍とかや。

「唐物」としては、薬以外は国内品で事足りているので必要ないと兼好は言います。
現在、輸入品に頼らざるを得ない日本の生活状況ですが、一定程度の生活をするためにはブランド品はあえて必要なモノではないと思うのは私だけなのでしょうか?
これ以上、お香や「唐物」のことを書き続けると止め処なくなりますので、これぐらいでやめておきたいと思います。
つづく…(?)。