山梨は巨峰の出荷がピーク!

minamasa2005-09-25

今日は、国書の会に行ってきました。
この会は、古代の日本−新羅間、日本−渤海間の“王から王へ”の外交文書である「国書」を丹念に読んでいく勉強会です。
参加者は、日本古代史の方だけではなく中国史朝鮮史など様々な研究者が集い、非常に刺激的な会となっています。
この会は、2ヶ月に1回程度開催され、場所は山梨大学か都内の大学(主に法政大学)で交互に行われています。今回は、山梨大学で行われました。
今回の報告は、前回扱われた弘仁六年の渤海使関連の国書の延長で、渤海使と日本側との交流を考える上で重要な漢詩文についてでした。
漢詩文は、文学研究者が専門とするところであり、歴史研究者が扱うのはなかなか難しいものです。
ただ、研究現状を考えると、編纂史料だけではなく、このような漢詩やまた散文・伝奇なども、今後、読み込んでいく必要があるかもしれません。
勉強会後の飲み会では、ビール→八海山→熱燗を飲みつつ、
その中で“本質的”という言葉が話題になりました。
「問題の本質がそこにあるにも関わらず、“それは本質的なことではない!”と言ってみたい」という何だかよくわかるようでわからない面白いフリがブーム?になりそうです。ねっ!コンドウ君。
“本質的”という言葉は、なかなか難しい言葉です。
人によって違う可能性もあるわけで。
それを歌や詩などであらわそうと思ったら、なお難しい。
ましてや平安時代のものとなったら、余計に難しい。
ほろ酔い気分で、本質を失いそうでした…。