「ポーツマス!ポーツマス!」

猫ひろしは、ポーツマスのことを知っているのだろうか?
 *******
1905年8月、日露戦争の講和会議がアメリカのポーツマスで行われたので、ポーツマス条約(日露講和条約)と呼ばれています。
 なぜアメリカなのでしょうか?
日本海海戦勝利後、小村寿太郎外務大臣は、駐米公使高平小五郎に、アメリカ大統領ローズヴェルト講和条約の斡旋を依頼するように命令しました。日本側は、軍事的にロシアを降伏させる力がもはやありませんでした。日露戦争の日本側の戦費は、約18億円で、日清戦争の7.5倍。その戦費は、国民に対する過度な増税国債の発行などで賄いました。国債は国内債だけではなく、外国債もロンドンやニューヨークなどで募集し、これは戦費の4割にのぼりました。日露戦争は外国からの借金で戦った戦争と言えます。ちなみにロシア側の戦費もフランスからの援助に支えられていました。
 日露戦争後、日本とアメリカの仲はどうなったかというと、南満州鉄道株式会社設立以降、険悪ムードが漂いました。アメリカにハリマンという鉄道王の大富豪がいました。彼は、日露戦争中に日本の外積を大量に購入し、戦中の日本を援助しました。ポーツマス条約後、ハリマンは桂太郎首相と、「日本政府が得た満鉄をハリマンが出資して、日米で共同経営をする」という覚書を交わしました。しかし、ポーツマス条約を結んで帰国した小村は、桂からその話を聞きましたが、聞き入れず日本の単独経営を主張しました。そこで桂は、ハリマンとの約束を破棄し、満鉄を日本単独で設置してしまいました。アメリカが日露戦争中、日本に好意的で、ポーツマス条約の仲介を引き受けたのは、中国への進出に出遅れていたアメリカが、満州の利権にありつけると目論んでいたからでした。
 しかし、結果は以上の通り。
 *******
以上、昨日紹介した本から勉強したことの一部です。
真面目に書いてしまいましたが、
今年は日露戦争が終わって丁度100年になります。
これにともなって、こんなイベントがあります。
 
東アジア近代史学会 創立10周年特別企画                  
日露戦争100周年シンポジウム「20世紀東アジア世界と日露戦争
 日程:2005年9月23日(金)〜25日(土) 会場:専修大学神田校舎
http://www.cnc.chukyo-u.ac.jp/users/yhiyama/jameah/sympo/index.htm